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世界ユダヤ人会議議長がイスラエル首相を見限った 《櫻井ジャーナル》 - 七転八起 Shichitenhakki

2026/11/01 (Sun) 15:28:35

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202611010000/





※転載元リンク箇所あり


 ​化粧品の大手企業を創設したエスティ・ローダーの息子で世界ユダヤ人会議で議長を務めるロナルド・ローダーは、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相を支えてきた富豪のひとりだ。​そのロナルド・ローダーがイスラエル国内に保有していたすべての資産を手放し、ネタニヤフを「****者」だと批判した。

 ネタニヤフが行ったガザ住民の大量虐殺はイスラエルに対する批判を強めることになり、イランに対する騙し討ちはイランからの報復攻撃を招いた。その攻撃でイスラエルの主要都市が破壊され、西アジアにおけるアメリカ軍基地壊滅的が壊滅的なダメージを受けた。ローダーはそうした事態を生じさせたネタニヤフに見切りをつけたのかもしれない。

 イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ政権はガザを破壊、住民を大量虐殺してきた。​医学雑誌「ランセット」は2023年10月7日から24年6月30日までの間にガザで外傷によって死亡した人数は6万4260人と推計、そのうち女性、18歳未満、65歳以上が59.1%だとする論文を発表している​。

 また、​「ハーバード大学学長およびフェロー」のウェブサイト「データバース」に掲載されたヤコブ・ガルブの報告書では、イスラエル軍とハマスの戦闘が始まる前には約222万7000人だったガザの人口が現在は185万人に減少、つまり37万7000人が行方不明になっているとしている。​死亡者の約4割が子どもであり、女性を含めると約7割に達するという推計を採用すると、殺害された子どもの数は15万人だ。

 イスラエルは1948年5月14日に建国されて以来、パレスチナ人を虐殺してきたが、今回の虐殺は、2023年10月7日にハマス(イスラム抵抗運動)を含む戦闘部隊がイスラエルを奇襲攻撃したところから始まるとされているが、その前にイスラエルがイスラム世界を挑発している。

 例えば、2022年4月1日にイスラエルの警察官がイスラム世界で第3番目の聖地だというアル・アクサ・モスクの入口でパレスチナ人男性を射殺している。同年4月5日にはイスラエルの警官隊がそのモスクへ突入、さらにユダヤ教の祭りであるヨム・キプール(贖罪の日/2023年は9月24日から25日)の前夜にはイスラエル軍に守られた約400人のユダヤ人がそのモスクを襲撃、さらにユダヤ教の「仮庵の祭り」(昨年は9月29日から10月6日)に合わせ、10月3日にはイスラエル軍に保護されながら832人のイスラエル人が同じモスクへ侵入している。

 2023年10月7日の攻撃では約1400名(後に1200名へ訂正)のイスラエル人が死亡したとされ、その責任はハマスにあると宣伝されたが、イスラエルのハーレツ紙によると、​イスラエル軍は侵入した武装グループを壊滅させるため、占拠された建物を人質もろとも砲撃、あるいは戦闘ヘリからの攻撃で破壊。殺されたイスラエル人の大半はイスラエル軍によるものだと現地では言われていた。​イスラエル軍は自国民を殺害するように命令されていたというのだ。「ハンニバル指令」である。ハマスの残虐さを印象付ける作り話も流された。

 しかし、イスラエルによるパレスチナ人虐殺をここから始まったわけではない。シオニストは1946年夏までに7万3000人以上のユダヤ人をパレスチナへ運び、アメリカの「民間団体」は1947年に同国の軍艦を利用してユダヤ人をバルカン半島からパレスチナへ運んだ。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estat

 イスラエルをパレスチナに作り上げようとしていたシオニストは1948年の4月上旬に「ダーレット作戦」を開始、ハガナから生まれたテロ組織のイルグンとスターン・ギャングはデイル・ヤシンという村を襲撃、パレスチナ人を虐殺した。

 襲撃の直後に村へ入った国際赤十字の人物によると、住民254名が殺され、そのうち145名が女性で、そのうち35名は妊婦だった。イギリスの高等弁務官、アラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否されている。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005)

 こうした虐殺に怯えた少なからぬ住民は逃げ出した。約140万人いたアラブ系住民のうち、5月だけで42万人以上がガザやトランスヨルダン(現在のヨルダン)へ移住、その後1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。国連は1948年12月11日、パレスチナ難民の帰還を認めた194号決議を採択したが、現在に至るまで実現されていない。

 その間、1948年5月20日に国連はフォルケ・ベルナドットをパレスチナ問題の調停者に任命した。彼は6月11日から始まる30日間の停戦を実現したものの、7月8日に戦闘が再開され、9月17日にはスターン・ギャングのメンバーに暗殺された。

 イスラエルを建国する計画はイギリスの西アジア支配戦略と結びついている。ロシア嫌いで有名なベンジャミン・ディズレーリは1868年2月から12月、74年2月から80年4月まで首相を務めているが、その間、75年にスエズ運河運河を買収。その買収資金を提供したのは反ロシアのライオネル・ド・ロスチャイルドだった。(Laurent Guyenot, “From Yahweh To Zion,” Sifting and Winnowing, 2018)

 1880年代に入るとエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドはテル・アビブを中心にパレスチナの土地を買い上げ、ユダヤ人入植者へ資金を提供しはじめた。この富豪はエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドの祖父にあたる。

 ロスチャイルド家を含むイギリスの寡頭体制を構成している人びとはシティを拠点にする金融界の住人であり、その手足として活動してきたのがイギリスの対外情報機関MI6(SIS)。このMI6をモデルにして創設されたOSS/CIAは事実上、ウォール街の機関だ。

 19世紀におけるイギリスの寡頭体制で中心的な役割を果たしていたのははナサニエル・ド・ロスチャイルドを後ろ盾とするセシル・ローズ。ナサニエル・ド・ロスチャイルドはライオネル・ド・ロスチャイルドの甥にあたり、NMロスチャイルド&サンズを経営していた。ローズはNMロスチャイルド&サンの融資を受け、ダイヤモンドや金が発見されていた南部アフリカへ1870年に移住、財を成した。

 1890年にケープ植民地の首相となったローズは96年にレアンダー・ジェイムソンを使ってトランスバールへの侵略戦争を始めたが、失敗。ローズは失脚し、イングランドのサウスハンプトンに戻ってナサニエル・ロスチャイルドと会い、ジョセフ・チェンバレンからのメッセージを渡した。このチェンバレンが侵攻作戦を秘密裏に承認した人物だといわれている。ロスチャイルドはウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、そしてアルフレッド・ミルナー(ミルナー卿)と緊急会談を開いて対策を練った。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

 イギリスの寡頭体制は19世紀からロシア征服を目論んでいた。第1次世界大戦当時、イギリスの手先として動いたいたのはロシアの有力貴族だったフェリックス・ユスポフだ。社会主義革命を成功させるには資本主義体制を築く必要があると信じる左翼党派は資本家と手を組んだ。それに反対し、一気に社会主義革命を行うべきだと主張していたボルシェビキの指導部は1917年3月の「二月革命」当時、ロシアの街頭にはいなかった。

 二月革命を仕掛けたグループはドイツとの戦争を推進しようとすしていたが、大土地所有者や皇后の代弁者だったグレゴリー・ラスプーチンは戦争に反対。同じ考えの皇后は戦争を回避する方策を相談するため、1916年7月13日にラスプーチンへ電報を打つのだが、それを受け取った直後に彼は見知らぬ女性に腹部を刺されて入院してしまう。8月17日に退院するが、その前にロシアは参戦していた。

 しかし、参戦してもラスプーチンが復活すれば戦争を辞める可能性がある。そうした中、1916年12月16日にラスプーチンは暗殺された。川から引き上げられた死体には3発の銃弾を撃ち込まれ、最初の銃弾は胸の左側に命中、腹部と肝臓を貫いていた。2発目は背中の右側から腎臓を通過。3発目は前頭部に命中、これが致命傷になった。暗殺したのはフェリックス・ユスポフだとされているが、止めの銃弾を打ち込んだ銃弾はイギリスの軍用拳銃で使われていたものだ。

 暗殺現場にはイギリス外務省が送り込んだMI6のチームがいた。中心はサミュエル・ホーアー中佐で、ステファン・アリーとオズワルド・レイナーが中心的な役割を果たしていた。アリーの父親はロシアの有力貴族だったユスポフ家と親しく、アリー自身はモスクワにあったユスポフの宮殿で生まれたと言われ、レイナーはオックスフォード大学時代からユスポフと親密な関係にあった。

 二月革命を仕掛け、ロシアを第1次世界大戦へ引き摺り込んだのはイギリスだと言えるだろう。臨時革命政府はドイツとの戦争を継続、両面作戦を嫌ったドイツは即時停戦を主張していたウラジミル・レーニンに目をつけた。

 ドイツ政府は国外に亡命していたボルシェビキの指導者32名を1917年4月に「封印列車」でロシアへ運ぶ。その後、紆余曲折を経て十月革命でボルシェビキ政権が誕生、ドイツとの戦争を止めることになる。そこでソ連とドイツはナチスが台頭するまで関係は良かった。

 二月革命と十月革命は全く別の革命なのだが、意図的に混同させようとする人たちがいる。

 ロシアの十月革命で成立したボルシェビキ体制を倒すため、イギリスだけでなくフランス、アメリカ、日本も軍隊を派遣し、新体制のソ連に対する干渉戦争を展開したが、その際、日本軍はロシアから金塊を持ち帰ったことが判明している。

 現在、ウクライナでNATOが行なっている対ロシア戦争や西アジアでアメリカとイスラエルが行なっている対イラン戦争は、イギリスが19世紀に始めた戦争と繋がっている。

 19世紀にイギリスは中国(清)も狙っている。イギリスの侵略戦略を始めたヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)は1855年2月から58年2月、59年6月から65年10月、2度にわたって首相を務めている。反ロシアでも有名。ビクトリア女王に対してアヘン戦争を指示したのもこの人物だ。最初のアヘン戦争は1840年に勃発、第2次アヘン戦争は56年に始まっている。

 2度のアヘン戦争でイギリスは中国(清)に海戦で勝利したが、内陸部を征服することはできなかった。それだけの地上軍がなかったからにほかならない。そこで戦国時代に戦闘奴隷の歴史がある日本に目をつけた。そして仕掛けたのが明治維新であり、日本は中国を侵略し、財宝を盗んだ。「金の百合」だが、その財宝をアメリカの権力者が管理するようになったとされている。

 対ロシア戦争と対イラン戦争で中心的な役割を果たしてきたアメリカやイギリスだが、これらの戦争で負けている。ウクライナでの対ロシア戦争は敗北が決定的で、このまま進むとヨーロッパが崩壊しかねない。

 ガザで住民を虐殺し、対イラン戦争で敗北した責任を世界ユダヤ人会議議長はネタニヤフに押し付けようとしている。ウクライナでの戦争はウォロディミル・ゼレンスキーが責任を取らされそうだ。今後、彼らが対中国戦争に突入する場合、その代理人は日本、韓国、台湾、フィリピンあたりになる。日本では戦争の準備が進められてきた。戦争が勃発したなら、日本はヨーロッパや西アジアの「親米国家」と同じように破滅だ。


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