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「国体」から「国スポ」へ…名称の変更は何を意味する?東京新聞デジタル - 七転八起 Shichitenhakki

2026/10/19 (Mon) 11:44:40

https://www.tokyo-np.co.jp/article/521754



1964年東京五輪開会式で秋空に描かれた五輪マーク=東京・国立競技場で
https://www.tokyo-np.co.jp/article_photo/list?article_id=521754&pid=2801392







〈本⾳のコラム+〉斎藤美奈子(文芸評論家)

 先日、仕事で青森に行った。市内のあちこちに週末の交通規制のお知らせ看板があり、「なにかあるのか?」程度の認識だったのだが、まもなく気がついた。青森県は数日後(10月10日)に国民スポーツ大会、略して国スポ(「青の煌めきあおもり国スポ」)の開会式を控えていたのである。

 にしても、国スポって何よ、国スポって。

 国スポとは、かつて「国体」と呼ばれていた大会のことである。

 「国民体育大会(国体)」が「国民スポーツ大会(国スポ)」と名称を変えたのは2024年の佐賀県大会から。2018年の法改正(改正スポーツ基本法)に基づく変更だそうだ。

 ちなみに同様の名称変更はほかにもあって、「体育の日」は「スポーツの日」に、「日本体育協会」は「日本スポーツ協会」に、いつのまにか(←私の認識では)変更されている。

 「体育」には集団的で苦行を伴う押しつけの印象があるが、「スポーツ」は自主的で文化的だとか、国際大会では「体育」より「スポーツ」のほうが通りがいいとか、いろいろ説明されてはいるが、要は過去を清算する「イメージの一新」だろう。


 「体育」という語は、英語の「Physical Education(フィジカル・エデュケーション)」の訳語として明治初期につくられた語だそうだ。近代国家の成立過程で登場した日本語で、学校教育の教科名としてはもちろん、それなりの歴史を背負っている。

 一方の「スポーツ」は、単に身体を使ったゲームないしは娯楽の総称で、何の重みも深みもない。つまんない変更をやってくれるよね。

 「国スポ」に話を戻すと、現地に行くまで私が知らなかったように、いつどこで開かれているのかも含め、大きく報道されているとは言い難い。

 「国スポ」なんて妙な名称変更をするからかえって知名度が下がったんじゃないの? という意地悪な臆測は別としても、国スポには事実、問題点が多い。

 第1に、開催県の負担があまりにも大きいことだ。

 競技施設の建設あるいは改修費、競技や式典の運営費、大会終了後も残る施設の維持管理費。2025年の開催県だった滋賀県の場合、総事業費は635億円。スポーツ基本法では国と自治体、日本スポーツ協会の共同開催とされているが、大部分は県の負担となる。また、少子高齢化が進行する現在、ボランティアなどの人的な動員も困難になっている。

 第2に、トップアスリートの不在である。

 トップ選手は、オリンピックやワールドカップといった国際大会の準備を優先するため、国スポへの参加を見送るケースが多い。必然的に注目度は下がり、開催県の住民以外は、いつどこでやっているのかさえ誰も知らない大会となる。

 第3に、都道府県別対抗戦という形式の限界だ。

 全国47都道府県の間には当然ながら格差がある。にもかかわらず、都道府県別対抗戦という形式を取った結果、1964年の新潟大会から2001年の宮城県大会まで、35年以上も開催県が優勝するという珍現象が続いた。臨時の職員や教員などの名目で他県の有力選手を引き抜くという強引な手法をとったためだった。

 こうしたことから、2024年、当時の全国知事会長だった宮城県の村井嘉浩知事が、47都道府県が年に1度、ほぼ全ての競技の選手を1カ所に集めるのはやめるべきだという「国スポ廃止論」を提起。当時の鳥取県、岩手県、茨城県の知事らからも現行のままの継続は困難だとの見解を示している。

 1946年から各県の持ち回り形式で始まった旧国体は、戦後復興をひとつの目的とし、昭和天皇の巡幸とも結びついて定着した。が、1988年に2巡目に入った後は、何のための大会なのか、巨費を投じて開催する価値があるのか、徐々にわからなくなっている。

 もちろん多くの競技が行われている以上、開催県に多くの人が集まるのはたしかで、49年ぶりの開催となった青森大会の場合も、選手や観客を含め80万人の人出が見込まれている。経済効果もそれなりにあるだろう。とはいえ、たった10日間(障害者スポーツ大会まで含めても2週間余)の大会のために県がかけるコストに見合うかどうかははっきりしない。

 1964年の東京五輪には意味があったが、コロナ禍で強行された2021年の東京五輪は疑問視された。1970年の大阪万博は歓迎されたが、2025年の大阪・関西万博には批判が集まった。イベント重視主義は、時代に合っていないのだ。

 「国体」転じて「国スポ」にも、同じことがいえるのではないか。名称の変更は、この大会の弱体化を象徴している気がしてならない。


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