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米露大統領がロシア産ディーゼル燃料の供給に関して合意 《櫻井ジャーナル》 - 七転八起 Shichitenhakki

2026/10/11 (Sun) 14:47:48

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202610110000/





 ロシアのウラジミル・プーチン大統領とアメリカのドナルド・トランプ大統領が10月9日、90分にわたって電話で会談、ロシア産ディーゼル燃料の供給に関して合意したという。アメリカ政府はエネルギー資源の供給を自分たちが支配しようとしてきたのだが、それが失敗、トランプ政権は中間選挙まで相場を抑え込みたいのだろう。

 イギリスやアメリカは西アジアを植民地化、石油利権を握っていた。イギリスはサウジアラビアを含む産油国や不沈空母とも呼ばれているイスラエルを作り上げたが、石油利権を握ることも目的のひとつだ。

 カスピ海の西岸に位置するバクーは帝政ロシア時代から石油が生産されていた。そのバクー油田でビジネスを展開し、「バクーの石油王」と呼ばれていたルートビッヒ・ノーベルの弟、アルフレッド・ノーベルはダイナマイトの発明者として知られている。ルートビッヒとアルフレッドの兄弟は1875年にバクーで精油所を建設、79年にはノーベル兄弟産油会社を設立している。

 バクーで生産された石油をヨーロッパへ輸送するためにノーベルはカフカース山脈を越える鉄道を計画、その資金を提供したのがパリのロスチャイルド家にほかならない。鉄道は1883に完成、ロスチャイルドも石油利権を手にすることになり、1883年にはBNITO(カスピアン・アンド・ブラックシー石油)を創設した。

 バクーの南に位置するペルシャ(現在のイラン)にも油田があるだろうと目をつけたイギリス人のウィリアム・ノックス・ダーシーは1901年にイラン国王と石油開発について交渉、03年9月から掘削を始め、08年5月には世界最大規模の油田が発見された。その翌年に同社は子会社としてAPOC(アングロ・ペルシャン石油)を創設し、バーマー石油会長のストラスコナ男爵(ドナルド・スミス)が会長に就任。1919年にイギリスはペルシャを保護国にしてしまう。1921年には陸軍の一将校にすぎなかったレザー・ハーンがテヘランを占領、その4年後に彼はカージャール朝を廃して「レザー・シャー・パーレビ」を名乗り、王位につく。これがパーレビ朝のはじまりだ。

 APOCは1935年にAIOC(アングロ・イラニアン石油)へ名称を変更し、54年からはBP(ブリティッシュ・ペトロリアム)と名乗るようになる。

 1939年9月にドイツ軍がポーランドへ軍事侵攻するとレザー・ハーンは親ドイツの姿勢を示し、ドイツ人を国外へ出せというイギリスやソ連の要求をイランが拒否、イギリスとソ連は1941年8月にイランへ軍事侵攻した。

 レザー・シャー・パーレビは逮捕されて国外追放、そして退位させられた。替わって即位したのが息子のムハマンド・レザーだ。当時21歳。その翌年には、アメリカもイランへ軍隊を派遣してくる。

 イランの石油利権の大半はイギリスの巨大資本と王族が独占、イラン国民はその恩恵に与らなかった。そこでイラン国民は不満を募らせる。そして1951年3月にアリ・ラズマラ首相が暗殺されてホセイン・アラが引き継ぎ、1カ月ほどでムハマド・モサデクが選ばれた。この間、議会ではAIOCの国有化が決まり、6月にはアバダーン油田が接収された。

 イギリスの圧力でモサデクは7月に辞任、アーマド・カバム・サルタネーが首相になるが、国民の怒りを買って5日間で職を辞し、再びモサデクが首相になった。

 油田が接収されたAIOCは石油の生産と輸送を止めることで対抗、イラン政府はオープン・マーケットで売却することに失敗、収入が激減して経済状況は急速に悪化した。そこでAGIP(イタリア石油公団)のエンリコ・マッティ総裁に接触する。

 パルチザン出身ということもあり、マッティは植民地主義に反対。イラン政府とAGIPとの交渉はうまくいくかと思われたのだが、合意には達しなかった。AIOC側がマッティに対して石油の供給を申し入れたためだと言われている。次にモサデクが選んだ交渉相手がソ連だ。(Richard J. Aldrich,"The Hidden Hand," John Murray, 2001)

 1951年10月にイギリスでは労働党政権が倒れ、保守党のウィンストン・チャーチルが首相へ返り咲くのだが、イギリスとしては自力でモサデク政権を倒す力はすでにない。そこで、アメリカと手を組む必要があり、アレン・ダレスと接触。ダレスを中心とするアメリカの情報機関人脈はイギリスの求めに応じる姿勢を見せるのだが、ハリー・トルーマン大統領はクーデター計画に反対。実際に計画が認可されるのは1953年1月にアメリカでドワイト・アイゼンハワー政権がスタートしてからだ。その前年に行われた大統領選挙でアイゼンハワーは石油産業から支援を受けていたと言われている。

 この政権でダレス兄弟の兄、ジョン・フォスターは国務長官に就任、弟のアレンはCIA長官になった。この兄弟にはモサデクを排除しなければならない事情があった。ダレス兄弟はふたりとも弁護士で、サリバン・アンド・クロムウェルという法律事務所の共同経営者なのだが、この法律事務所の顧客リストにはAIOCも含まれていたのである。

 アイゼンハワー大統領は3月に計画を承認、5月にアレン・ダレスは部下をキプロスへ派遣、現地のMI6要員と情報の交換を行っている。6月にジョン・フォスター・ダレス国務長官はモサデク政権を転覆させる準備の許可を弟のアレン、そしてCIAで中東地域の工作を指揮していたカーミット・ルーズベルトに出している。モサデクを倒す目的で「エイジャクス(アイアース:トロイ戦争の英雄)作戦」が練り上げられたのはこの頃である。(Richard J. Aldrich,"The Hidden Hand," John Murray, 2001)

 一方、イギリスはMI6がブート作戦と名づけられた計画を作成する。ラシディアン兄弟が動かしている都市部の組織や南部の族長たちを使い、テヘランを支配下におこうと考えたのである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 7月になると、カーミット・ルーズベルトが「ジェームズ・ロックリッジ」の名前でイラクからイランへ入り、山間部の隠れ家から作戦を指揮することになる。

 イラン国内の緊張が高まってくるとムハマド・レザー・パーレビ国王は家族をスイスへ逃がすのだが、国王が国外にいては作戦に支障が生じるため、国王の妹であるアシュラフは兄の国王をテヘランに戻るよう、説得している。アメリカとイギリスがクーデターを支持していることで最終的には納得した国王だが、そこに至るまでの間、兄と妹は激しく口論したという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 アメリカ軍は今年1月3日にベネズエラを攻撃し、同国のニコラス・マドゥロ大統領夫妻を拉致している。トランプ大統領はベネズエラの石油を奪いたかったのだが、ネオコンはウゴ・チャベスの時代からこの国の石油を狙っていた。

 ベネズエラでは1998年に選挙があり、ウゴ・チャベスが勝利。チャベスは1999年2月から大統領を務め、アメリカが支配する仕組みを壊してしまう。その時代に副大統領だったのがニコラス・マドゥロだ。

 2001年にアメリカ大統領となったジョージ・W・ブッシュは、その翌年からチャベス政権を倒すための秘密工作を始めた。工作の中心にはイラン・コントラ事件に登場したエリオット・エイブラムズ、キューバ系アメリカ人で1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務めたオットー・ライヒ、そして1981年から85年までのホンジュラス駐在大使を務め、2001年から04年までは国連大使、04年から05年にかけてイラク大使を務めたジョン・ネグロポンテがいた。

 2007年にアメリカの支配層はベネズエラの体制を転覆させるため、「2007年世代」を創設、09年には挑発的な反政府運動を行った。こうしたベネズエラの反政府組織に対し、NEDやUSAIDといったCIAの資金を流す組織は毎年40004万ドルから5000万ドルを提供していた。

 その2年前、つまり2005年にアメリカの支配層は配下のベネズエラ人学生5名をセルビアへ送り込んでいる。そこにはCIAから資金の提供を受けているCANVASと呼ばれる組織が存在、そこで学生は体制転覆の訓練を受けている。このCANVASを生み出したのは1998年に組織されたオトポール!なる運動だ。

 この運動の背後にはCIAの別働隊であるIRIが存在した。このIRIは20名ほどのリーダーをブダペストのヒルトン・ホテルへ集め、レクチャーする。講師の中心的な存在だったのは元DIA(国防情報局)分析官のロバート・ヘルビー大佐だ。

 抗議活動はヒット・エンド・ラン方式が採用された。アメリカの政府機関がGPS衛星を使って対象国の治安部隊がどのように動いているかを監視、その情報を配下の活動家へ伝えている。このとき、アメリカは情報の収集や伝達などでIT技術を使う戦術をテスト、その後の「カラー革命」におけるSNSの利用にもつながった。(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018)

 体制転覆の企てが成功しなかった理由のひとつはチャベスのカリスマ性にあったが、そのチャベスが2013年3月、58歳の若さで死亡した。その後継者がマドゥロだ。

 バラク・オバマ米大統領は2014年2月、ネオ・ナチを利用し、キエフでクーデターを成功させたが、これもエネルギー資源が関係していた。ヨーロッパから安価なロシア産天然ガスの供給を奪い、ロシアからローロッパというマーケットを奪い、両者を弱体化させようとしたのだ。この作戦でヨーロッパは弱体化したが、ロシアは中国との関係を強めてしまう。


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