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ロシア軍がキエフへの攻撃を激化(櫻井ジャーナル) - 七転八起 Shichitenhakki

2026/10/06 (Tue) 15:37:15

https://note.com/light_coot554/n/n80020fa28ccb



米英情報機関のネットワーク







 ドイツのフリードリヒ・メルツ首相が訪問していたキエフの橋をロシア軍が攻撃した。橋を破壊しても人間は地下鉄などで移動できるものの、物資の輸送は難しくない。さらに黒海では軍需物資を積載していたとみられるウクライナの貨物船2隻を破壊、チョルノモルスク港の燃料貯蔵施設も攻撃したと伝えられている。

 アメリカのジョージ・W・ブッシュ政権は2003年3月にイラクを先制攻撃した。この作戦に参加したのは事前にクウェートへ送り込まれていたアメリカ軍兵士24万8000人、イギリス軍兵士4万5000人、オーストラリア軍兵士2000人、ポーランドの特殊部隊GROMの隊員194名、そしてクルドの武装集団ペシュメルガから7万人だとされている。アメリカ軍の他、イギリスとオーストラリアのアングロ・サクソン国の軍隊、そしてポーランドとクルドの部隊だ。ブッシュ政権は2002年に攻撃するつもりだったが、統合参謀本部が反対し、翌年へ延びたとされている。

 イラクへの軍事侵攻はCIAが中心になり、始められた。2002年11月に中東全域のCIA支局長がロンドンのアメリカ大使館に集められ、IOG(イラク作戦グループ)から対イラク戦争は決定済みであり、嫌なら辞めろと脅されたという。(James Risen, “State of War,” Free Press, 2006)

 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(NATO作戦連合軍)最高司令官によると、2001年9月11日の世界貿易センターやペンタゴンへの攻撃から10日ほど後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺はイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、イラン、スーダンを攻撃対象国リストに載せていたという。


https://www.youtube.com/watch?v=TY2DKzastu8




 ネオコンは1980年代からイラクのサダム・フセイン体制を倒してイランとシリアを分断、その上でシリアとイランを破壊するという計画を立てていた。そして1991年12月にソ連が消滅、ネオコンは1992年2月、ソ連が消滅した直後に国防総省のDPG草案という形で世界制覇プラン、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」を作成した。これは本ブログで繰り返し書いてきたことだ。

 このドクトリンをベースにしてネオコン系シンクタンクPNACは2000年に「アメリカ国防の再構築」を発表、それに基づき、ジョージ・W・ブッシュ政権は軍事政策を作成、9/11が引き金になり、その侵略計画が始動した。

 2003年2月、国務長官を務めていたコリン・パウエルは国連でイラクが大量破壊兵器を保有しているとする偽情報を主張した。サダム・フセイン政権が間違いなく生物兵器を開発、生産能力もあると発言しているのだ。この話が嘘だということはパウエルも知っていただろう。

 1968年3月、ベトナムのミ・ライ(ソンミ村)でアメリカ兵が村民を虐殺しいた。その年の7月、第23歩兵師団に配属されていたパウエル少佐は現場を訪れたのだ。パウエルは2004年5月4日に放送されたCNNのラリー・キング・ライブで、事件後に現場を訪れて衝撃を受けたと語っている。当時、パウエルはこうした事件をもみ消すことが役目だったと言われている。

 1970年代にウィリアム・コルビーCIA長官はフランク・チャーチ上院議員が委員長を務める「情報活動に関する政府による作戦を調査する特別委員会」でCIAの秘密工作について証言、「1968年8月から1971年5月までの間にフェニックス・プログラムで2万0587名のベトナム人が殺され、そのほかに2万8978名が投獄された」と語っている。ミ・ライでの虐殺はフェニックス・プログラムの一環だった。(Tom O’Neill, “Chaos,” William Heinemann, 2019)

 ところで、パウエル長官の次官だったシャルロット・ビアーズは「マディソン街の女王」と呼ばれる人物で、大手広告会社の会長兼CEOを務めていた。彼女の手法は単純化と浅薄化。イメージが問題なのであり、詳しく丁寧には説明しない。イラクへの先制攻撃をアメリカ政府は「イラクの自由作戦」と命名したが、これもビアーズのアドバイスに従ってのことだという。ブッシュ大統領が「この戦争は平和のため」と発言したのも彼女のアドバイスによる。(Alexander Cockburn & Jeffrey St. Clair, “End Times”, CounterPunch, 2007)

 9/11にしても、イラクの大量破壊兵器の話にしても、その後のシリアやリビアにおける戦乱の原因にしても、ウクライナでのクーデターにしても、全てアメリカ政府が大手メディアを利用して広めた偽情報。戦況についての情報操作にはネオコンが設立した「ISW(戦争研究所)」が使われている。

 このシンクタンクのスポンサーは戦争ビジネスだが、創設したキンベリー・ケイガンはネオコン一家の一員であり、キンベリーの夫はフレデリック・ケイガン、その兄はロバート・ケイガン、ロバートの妻はウクライナのクーデターで中心的な役割を果たしたビクトリア・ヌランドにほかならない。

 フェニックス・プログラムはCIAと特殊部隊が連携して実行したのだが、その歴史は第2次世界大戦の終盤から始まる。

 大戦中、西部戦線でドイツ軍と戦っていたのはレジスタンスで、その主力はコミュニスト。シャルル・ド・ゴールはコミュニストでなかったものの、参加していた。大戦後、彼が命を狙われたのはそのためだ。

 1943年1月にスターリングラードの戦いでドイツ軍が敗北すると、イギリスのSOEとアメリカのSOはゲリラ部隊を編成する。1944年のことだ。これがジェドバラ。

 このジェドバラ人脈は大戦後、破壊工作機関のOPCになり、この機関は1950年10月にCIAへ吸収され、翌年1月にはアレン・ダレスがOPCとOSOを統括する副長官としてCIAへ乗り込んできた。1952年8月にはOPCが中心になり、CIAの内部に計画局が設置される。その存在が知られるようになるのは1970年代に入ってからだ。1973年3月には作戦局へ名称が変更されている。その後、2005年10月にNCS(国家秘密局)へ衣替えし、15年3月に再び作戦局へ戻った。

 1953年にドワイト・アイゼンハワーが大統領に就任すると、アレン・ダレスはCIA長官に、彼の兄であるジョン・フォスター・ダレスは国務長官に任命された。

 1953年11月にディエンビエンフーを守るフランス軍をベトミン軍が包囲、翌年の5月にフランス軍は降伏するが、その直前、1954年1月にアメリカのNSC(国家安全保障会議)でダレス国務長官はベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案し、それを受けてCIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成した。ジョン・F・ケネディは大統領に就任した後、アメリカ軍部隊を撤退させる命令を出したが、1963年11月22日にダラスで暗殺された。そしてCIAはフェニックス・プログラムを始めたわけである。

 ヨーロッパでジェドバラ人脈はNATOの秘密部隊を編成する。中でも有名な部隊はイタリアのグラディオだ。この人脈はド・ゴールの命を狙い、イタリアでは爆弾テロを繰り返した。1978年のアルド・モロ暗殺もこの人脈が実行したと考えられている。グラディオのネットワークは2014年2月のキエフにおけるクーデターにも参加、今でも対ロシア戦争を続けている。


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