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戦前レジームも米英の支配体制だということを示す関東大震災《櫻井ジャーナル》 - 七転八起 Shichitenhakki

2026/09/02 (Wed) 14:00:12

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202609020000/





 1923年、つまり今から103年前の9月1日に東京周辺が巨大地震に襲われた。家屋が倒壊しただけでなく、大規模な火災が発生して大きな損害を受けている。被災者は340万人以上に及び、死者と行方不明者を合わせると10万5000名から14万3000名、損害総額は55億から100億円(現在の貨幣価値に換算すると4兆円から7兆円)に達したと言われている。その復興資金の調達を日本政府はJPモルガンに頼ったが、この銀行はロスチャイルドからスピンオフした金融機関。それ結果、このJPモルガンは日本の政治経済に大きな影響力を持つことになる。

 JPモルガンの創業者であるジョン・ピアポント・モルガンの父親であるジュニアス・スペンサー・モルガンはジョージー・ピーボディーとロンドンで銀行を経営していたが、1857年に業績が悪化する。その苦境を救済したのがピーボディーと親しかったロスチャイルド一族。ピーボディは1864年に引退し、ジュニアス・モルガンが率いることなった。その銀行でジュニアスの息子、ジョン・ピアポント・モルガンも働くようになるが、そのジョンをロスチャイルドは自分たちのアメリカにおける銀行の代理人に据えた。

 ジョン・ピアポント・モルガンは1913年3月に死亡、息子のジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア(通称ジャック)が引き継ぎ、アメリカの金融界、いわゆるウォール街の大立者になる。関東大震災当時のJPモルガンを率いていたのはジャックだ。

 そのウォール街を揺るがす出来事が1932年にあった。大統領選挙でロスチャイルドに操られていた現職のハーバート・フーバーがニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れたのだ。そこでウォール街の大物たちはニューディール派を排除するためにクーデターを計画するのだが、これは海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将によって阻止された。バトラー少将は名誉勲章を2度授与されたアメリカ海兵隊の伝説的な軍人だ。


 バトラー少将によると、1933年7月に在郷軍人会の幹部ふたり、ウィリアム・ドイルとジェラルド・マクガイアーが彼の自宅を訪問したところから話は始まる。(Public Hearings before the Special Committee on Un-American Activities, House of Representatives, 73rd Congress, 2nd Session)

 シカゴで開かれる在郷軍人会の大会へ数百人の退役兵士を引き連れて参加し、演説して欲しいと要請、必要な経費を負担するということだった。ふたりは演説の原稿を置いて帰った。その原稿には金本位制への復帰を求める文言が含まれていた。

 似た動きは日本でもあった。1930年1月、浜口雄幸内閣は金本位制への復帰を決めているのだ。このときの大蔵大臣、井上準之助は当時の日本で最もJPモルガンに近い人物だと言われている。1920年に対中国借款の交渉を井上は行っているのだが、この過程でJPモルガンと親しくなったのだという。井上は緊縮財政を推進するが、これも巨大金融資本の意向に沿うものだ。(NHK取材班編『日本の選択〈6〉金融小国ニッポンの悲劇』角川書店、1995年)

 こうした政策によって日本では不況は深刻化、庶民は経済的に厳しい状況におかれる。東北地方で娘の身売りが増えたのもこの頃のことだ。こうした経済政策を推進した浜口首相は1930年11月に東京駅で銃撃され、翌年の8月に死亡、32年2月には井上が本郷追分の駒本小学校で射殺されている。そして1936年2月26日、陸軍の在京部隊約1500名が決起した。二・二六事件だ。

 アメリカ大統領だったフーバーは任期を終える直前、1932年に大物を駐日大使として日本へ送り込む。ジョセフ・グルーだ。グルーのいとこ、ジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻である。しかもグルーの妻、アリスの曾祖父にあたるオリバー・ペリーは海軍の伝説的な軍人で、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。

 グルー夫妻は皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持っていたが、特に親しかったとされている人物が松岡洋右。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたり、岸もグルーと親しい関係にあった。秩父宮雍仁もグルーの友人として知られている。秩父宮が二・二六の将校を支持していたとは思えない。

 ところで、3度目の訪問時、マクガイアーはスポンサーのひとりがグレイソン・マレット-プレボスト・マーフィだということを明かす。この人物は在郷軍人会を創設したメンバーのひとりだが、ウォール街で証券会社を経営し、ギャランティー・トラストの重役でもあった。(Jules Archer, “The Plot to Seize the White House,” Skyhorse Publishing, 2007)

 ウォール街からの訪問者はドイツのナチやイタリアのファシスト、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にしていた。50万名規模の組織を編成して政府を威圧、「スーパー長官」のようなものを新たに設置して大統領の重責を引き継ぐとしていた。一種の摂関政治だ。このシステムを導入するため、ウォール街の住人たちは在郷軍人会を動員してホワイトハウスを恫喝しようとしていた。マクガイアーたちの目的は金本位制の復活であり、失業対策として彼らが考えていたのは強制労働収容所にすぎなかった。

 ウォール街の大物たちはパリでクーデターの指揮官を選定、軍の内部で圧倒的な人望があったバトラーが選ばれたのだが、JPモルガンが考えていた人物は陸軍参謀長を務めていたダグラス・マッカーサーだった。

 この軍人が結婚した女性はルイス・クロムウェル・ブルックス。その母、エバ・ロバーツ・クロムウェルが再婚した相手、エドワード・ストーテスベリーはJPモルガンの共同経営者だった。マッカーサーはJPモルガンの人脈に属していたのだ。そのマッカーサーが選ばれなかったのは、軍隊の内部でバトラーほどの人気がなかったからだ。バトラーを抱き込まない限りクーデターは成功しないと判断する人が多かったということだろう。

 しかし、結局ウォール街はバトラーの説得に失敗。50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分は50万人以上を動かして対抗すると応じ、内戦を覚悟するようにバトラーは警告した。(Public Hearings before the Speecial Committee on Un-American Activities, House of Representatives, 73rd Congress, 2nd Session, Testimony of Major General Smedley D. Butler, December 29, 1934)

 クーデター計画に気づいたバトラーは信頼していたフィラデルフィア・レコードの編集者トム・オニールに相談、オニールはポール・コムリー・フレンチを確認のために派遣している。フレンチは1934年9月にウォール街のメンバーを取材、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があるという話を引き出した。(Jules Archer, “The Plot to Seize the White House,” Skyhorse, 2007)

 バトラー少将は1935年にJ・エドガー・フーバーに接触してウォール街の計画を説明するのだが、起訴するために必要の証拠はなく、自分には捜査を命令する権限がないとして断っている。(Peter Dale Scott, “The American Deep State,” Rowman & Littlefield, 2015)

 計画が発覚すると、名指しされた人びとは誤解だと弁解したが、非米活動特別委員会はクーデター計画の存在を否定することはできなかった。それにもかかわらず、何ら法的な処分は勿論、これ以上の調査は行われず、メディアもこの事件を追及していない。この問題でウォール街を追い詰めても内戦になる可能性があったからだろう。

 1935年9月10日にアメリカではひとりの上院議員が暗殺されている。ヒューイ・ロングだ。富裕なエリートや銀行を批判、ルーズベルト政権を当初は支持していたが、ニューディール政策は貧困対策として不十分だと考え、1933年6月に袂を分かつ。ロングは純資産税を考えていた。ウォール街の支配者にとって、ロングはルーズベルト以上の敵だ。

 医師のカール・ワイツが4フィート(約1.2メートル)の距離から拳銃でロングを射殺したとされているが、ワイツはロングのボディガードたちに射殺されたため、公判は開かれず、証拠や証人の検証もなかった。ワイツの家族はカールが殺したとする公式ストーリーを否定している。

 クーデター計画と並行する形で民主党の反ニューディール派議員は「アメリカ自由連盟」を設立している。活動資金の出所はJPモルガンやデュポンといった巨大企業のほか、アンドリュー・メロンやロックフェラーの周辺を含む富豪たち。武器はレミントン社からデュポン経由で手に入れることになっていた。

 ルーズベルトは1936年、40年、そしてドイツや日本の敗北が間近に迫っていることが明らかだった44年の選挙でも勝利する。戦争が終われば、ウォール街とナチスとの関係が調べられ、責任を問われることも予想されたのだが、ルーズベルトはドイツが降伏する前月、1945年4月12日に急死、ニューディール派の影響力は急速に弱まる。そしてアメリカでは「赤狩り」と称する反ファシスト派弾圧が始まった。


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