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サウジのファイサル国王暗殺で盤石になったペトロダラーが崩壊へ《櫻井ジャーナル》 - 七転八起 Shichitenhakki

2026/08/28 (Fri) 14:38:57

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202608280000/





 西アジアにおけるアメリカの影響力は急速に低下している。そうした動きの中心にイランが存在していることは言うまでもないだろう。それに対し、サウジアラビア、トルコ、パキスタンは8月7日、相互防衛協定を締結した。「外部の覇権国がこの地域に介入しても問題は解決せず、むしろ事態を深刻化させるだけ」であり、地域の国々と新たな枠組みを構築する必要があるとトルコのメブリュット・チャブシュオール外相は語っている。西アジアの国々がアメリカに見切りをつけたわけだ。

 西アジア支配をイギリスは遅くとも19世紀には計画していた。第1次世界大戦の最中に同国はフランスとサイクス・ピコ協定を締結、オスマン帝国を解体して両国で分割することを決めた。イギリスはエージェントを後のサウジアラビア国王でワッハーブ派のイブン・サウドに接触させている。


 協定が結ばれた翌月の1916年6月にイギリス外務省アラブ局はアラブ人を扇動して反乱を起こさせた。その部署に所属していたトーマス・エドワーズ・ローレンスは「アラビアのロレンス」とも呼ばれている。ローレンスは1915年に軍情報部へ入っていた。

 ローレンスは中東で活動している間にアラブ人と親しくなり、親アラブ的な発言をするようになる。そこで1929年に帰国した後、軍から解雇すると脅され、旅行を禁止されてしまう。そして1935年に自動車事故で死亡する。(Hugh Wilford, “The CIA,” Basic Books UK, 2024)

 ペルシャと呼ばれていた当時のイランで世界最大規模の油田が発見されたのは1908年5月のこと。その翌年にAPOC(アングロ・ペルシャン石油)が創設され、バーマー石油の会長だったストラスコナ男爵(ドナルド・スミス)が会長に就任、1919にイギリスはペルシャを保護国にしてしまう。そして1921年、軍の一将校にすぎなかったレザー・ハーンがテヘランを占領、その4年後に彼はカージャール朝を廃して王位につく。これがパーレビ朝のはじまりである。

 1935年にAPOCはAIOCに名称を変更するが、実態に変化はなく、イギリス政府に膨大な利益をもたらした。第2次世界大戦後、1945年から50年にかけて2億5000万ドルの利益を石油は生み出している(Daniel Yergin, "The Prize", Simon & Schuster1991)のだが、その大半をイギリスの巨大資本と王族が独占していた。

 その現実にイランの庶民は不満を募らせ、ムハマド・モサデクが首相に就任した議会はAIOCの国有化を決定。イギリスの圧力で1952年7月にモサデクは辞任、アーマド・カバム・サルタネーが首相になるものの、5日間で職を辞し、再びモサデクが首相になった。そこからイギリスの情報機関MI6はアレン・ダレスを巻き込み、CIAと共同でモサデク政権を1953年にクーデターで倒し、パーレビ体制を復活させる。この体制がイスラム革命で倒されたのは1979年のことだ。

 ベトナム戦争で疲弊したこともあり、アメリカのリチャード・ニクソン大統領は1971年8月にドルと金との交換停止を発表、73年から変動相場制へ移行していく。ドルは金に束縛されることなく発行できるようになるが、金という裏付けをなくしたことから何も対策を講じずに発行を続ければハイパーインフレになり、基軸通貨としての地位から陥落する可能性が出てきた。そこでドルの流通量をコントロールする仕組みが作られる。

 1973年に西アジアでは第4次中東戦争が勃発、石油危機が引き起こされるのだが、この危機は仕組まれたものだった。サウジアラビアの石油鉱物資源大臣を務めていたシェイク・アーメド・ザキ・ヤマニはイギリスの日曜紙「オブザーバー」の2001年1月14日付け紙面に掲載された記事の中で、「ある秘密会議」で石油価格の引き上げは決定されたと語っている。石油価格が大幅に引き上げられた背景には石油会社が多額の借入金で押しつぶされそうになっていた現実があるというのだ。この会議はビルダーバーグ・グループの会議だということをイギリスのジャーナリスト、ロビン・ラムゼイは突き止めている。(Robin Ramsay, "Was the 1974 oil price hike engineered by the Bilderberg group?" Lobser 41, Summer 2001)

 産油国に対して石油取引の決済をドルに限定させ、集まったドルを産油国はアメリカへ還流させるというペトロダラーの仕組みが作られた。原油価格を上昇させれば回収効率が上がる。石油価格の上昇でアメリカの製造業は打撃を受けるが、製造業が繁栄するとドルの少なからぬ部分が現実の社会で流通するため、インフレを避けようとすればドルの発行を制限せざるをえなくなる。投機市場もドルを吸い上げるために有効な手段だ。

 ペトロダラーの仕組みができあがって間もない1975年3月、アメリカにとって好都合なことが引き起こされる。自立の意思を持っていたサウジアラビアのファイサル国王が暗殺されたのだ。この暗殺はアメリカの支配力を強めることになった。

 国王は執務室で甥のファイサル・ビン・ムサイドに射殺されたのだが、ジャーナリストのアラン・ハートによると、その暗殺犯はクウェートのアブドル・ムタレブ・カジミ石油相の随行員として現場にいた。

 ビン・ムサイドはアメリカでギャンブルに溺れ、多額の借金を抱えていた人物。そのビン・ムサイドにイスラエルの情報機関モサドは魅力的な女性を近づけ、借金を清算した上で麻薬漬けにし、ベッドを伴にするなどして操り人形にしてしまったという。ファイサル国王が暗殺された後、サウジラビアのアメリカへの従属度は強くなる。(Alan Hart, “Zionism Volume Three,” World Focus Publishing, 2005)

 このシステムを受け入れさせるため、アメリカは産油国の支配者を富ませ、守り、国を防衛するなどと保証したのだが、アメリカとイスラエルによるイラン攻撃はその保証が幻影だったことを明らかにした。アメリカに従属しても自分たちの地位と富は保証されず、かえって危険だということが明確になった。経済力や軍事力を使った「制裁」はアメリカの「切り札」だったのだろうが、その切り札を使った瞬間、アメリカの支配システムの崩壊が急速に進み始めた。

 サウジアラビア、トルコ、パキスタンの相互防衛協定をスンニ派版のNATOだと言うことはできないと考える人が少なくない。


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