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ロシア、西アジア、中国は米英にとってひとつの戦略的なターゲット《櫻井ジャーナル》 - 七転八起 Shichitenhakki

2026/07/18 (Sat) 13:57:32

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202607180000/





 ドナルド・トランプ米大統領が7月16日、自身が敗北した2020年のアメリカ大統領選挙へ干渉した疑惑があるとして中国を非難した。2016年の選挙で敗北したヒラリー・クリントンが所属する民主党がCIAやFBIと手を組んで展開した「ロシアゲート」キャンペーンと似たような話だが、いずれも戯言だ。

 アメリカを含む西側諸国では政府が変わっても政策、特に軍事や外交の分野は基本的に変化しない。実際に政策を決めている勢力は背後にいて表には出てこないからだ。つまり選挙は民主主義を装うための茶番劇にすぎず、そのようなものに中国やロシアが介入してくるとは考えられない。

 米英の支配システムを知るには、19世紀のイギリスがどのようになっていたかを調べる必要がある。

 1868年2月から同年12月、74年2月から80年4月まで2度にわたってイギリスの首相を務めたベンジャミン・ディズレーリは小説家としても知られ、1844年に発表した『コニングスビー』では、「(ジョン・)ハムデン(=オリバー・クロムウェルの従兄弟)による最初の運動から1688年の最後の最も成功した運動(=名誉革命)に至るまで、イングランドにおけるホイッグ党指導者たちの最大の目的はベネツィア共和国をモデルとした高貴な貴族制の共和国をイングランドに樹立することであり、当時のあらゆる思索的な政治家がそれを研究し称賛することだった。」と書いている。

 実際、イギリスは名誉革命以降、寡占体制になり、それは西ヨーロッパ全域に広がった。1855年2月から58年2月、59年6月から65年10月、2度首相を務めた反ロシアで有名なヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)は実際に権力を握っていた人物で、ビクトリア女王に対してアヘン戦争を指示したのもこの人物。パーマスト卿が外務大臣を務めていた1840年にアヘン戦争は勃発、第2次アヘン戦争は首相時代の1856年に始まっている。現在、ウクライナで戦われている対ロシア戦争や日本が準備を進めている対中国戦争はパーマスト卿の戦略だとも言える。

 アヘン戦争に投入されたイギリス軍は5000人にすぎず、7000人のインド人兵士が参加。第2次アヘン戦争でイギリス軍は兵士の数を増やしたものの、それでも1万3127人。フランスから7000人ほどが参加している。圧倒的に不足している戦力を補うため、イギリスが目をつけたのが日本にほかならない。

 その後、日清戦争で投入された日本軍は24万人。盧溝橋事件があり、日中の全面戦争が始まった1937年には中国の国民党軍が170万人、共産党軍が64万人、それに対して日本軍は60万人で、日本は侵略戦争を始められる状態ではなかった。1945年の段階では国民党軍570万人、共産党軍120万人、対する日本軍は112万人強と傀儡政権軍が約100万人。侵略軍の戦力は相手の数倍は必要だと言われているが、日本軍は圧倒的に足りない。それでも戦争へ突き進めたのは、大本営の侵略反対派を黙らせることのできる存在が侵略推進派にいたからだろう。

 パーマストン子爵の後、イギリスの政策を決めたのは1891年2月にセシル・ローズの発案で創設された「選民秘密協会」だと言われている。そのグループにはローズのほか、ナサニエル・ド・ロスチャイルド、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、アルフレッド・ミルナー(ミルナー卿)、サリスバリー卿(ロバート・ガスコン-セシル)、ローズベリー卿(アーチボルド・プリムローズ)たちが含まれていた。そのうちローズ、ロスチャイルド、ブレット、ステッドの4人が協会の指導者になったとされている。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

 ローズは1877年6月にフリーメーソンへ入会、『信仰告白』を書いているのだが、その中で彼はアングロ・サクソンが最も優秀な人種だと主張、そのアングロ・サクソンが「住む世界が増えれば増えるほど、人類にとってより良いものになる」としている。

 また、「より多くの領土を獲得するあらゆる機会を捉えることは我々の義務であり、より多くの領土はアングロサクソン人種の増加、つまり世界が所有する最も優れた、最も人間的で最も名誉ある人種の増加を意味するという考えを常に念頭に置くべきである」としている。

 現在、アメリカやイギリスをはじめとする西側諸国はロシアと中国のほか、西アジアでも侵略戦争を進めている。そのキーワードはシオニズムだ。

 「シオニズム」という用語を1893年に初めて使用したのはウィーン生まれのナータン・ビルンバウムであり、「近代シオニズム」の創設者とされている人物は1896年に『ユダヤ人国家』という本を出版したセオドール・ヘルツル。1838年にイギリス政府はエルサレムに領事館を建設、イギリスの首相を務めていたベンジャミン・ディズレーリは75年にスエズ運河運河を買収。その買収資金を提供したのは友人のライオネル・ド・ロスチャイルドだった。(Laurent Guyenot, “From Yahweh To Zion,” Sifting and Winnowing, 2018)

 ディズレーリは1881年4月に死亡、その直後からフランス系のエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドがテル・アビブを中心にパレスチナの土地を買い上げ、ユダヤ人入植者へ資金を提供しはじめる。

 イギリスはオスマン帝国の解体を目指し、第1次世界大戦の最中にフランスと「サイクス・ピコ協定」を締結。この秘密協定はロシアの十月革命で成立したボルシェビキ政権によって明るみに出された。

 協定が結ばれた翌月の1916年6月にイギリス外務省アラブ局はアラブ人を扇動して反乱を起こさせた。その部署にはトーマス・ローレンス、いわゆる「アラビアのロレンス」も所属していた。その当時、イギリスはエージェントを後のサウジアラビア国王でワッハーブ派のイブン・サウドに接触させている。

 パレスチナに「ユダヤ人の国」を建設する第一歩と言われる書簡をアーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ出したのは1917年11月のこと。これがいわゆる「バルフォア宣言」だ。

 イギリスは1920年から1948年の間パレスチナを委任統治、ユダヤ人の入植を進めたが、1920年代に入るとパレスチナのアラブ系住民は入植の動きに対する反発を強める。

 そうした動きを抑え込むため、デイビッド・ロイド・ジョージ政権で植民地大臣に就任したウィンストン・チャーチルはパレスチナへ送り込む警官隊の創設するという案に賛成、アイルランドの独立戦争で投入された「ブラック・アンド・タンズ」のメンバーを採用した。この組織はIRA(アイルランド共和国軍)を制圧するために設立され、殺人、放火、略奪など残虐さで有名だった。そして1936年から39年にかけてパレスチナ人は蜂起。アラブ大反乱だ。

 1938年以降、イギリス政府は10万人以上の軍隊をパレスチナに派遣する一方、植民地のインドで警察組織を率いていたチャールズ・テガートをパレスチナへ派遣、収容所を建設する一方、残忍な取り調べ方法を訓練した。イギリス軍はパトロールの際、民間のパレスチナ人を強制的に同行させていたともいう。

 委任政府は外出禁止令を出し、文書を検閲、建物を占拠、弁護人を受ける権利を停止する一方、裁判なしで個人を逮捕、投獄、国外追放している。この政策はイスラエル政府の政策につながる。

 反乱が終わるまでにアラブ系住民のうち成人男性の10パーセントがイギリス軍によって殺害、負傷、投獄、または追放された。植民地長官だったマルコム・マクドナルドは1939年5月、パレスチナには13の収容所があり、4816人が収容されていると議会で語っている。その結果、パレスチナ社会は荒廃、1948年当時、イスラエルの「建国」を宣言したシオニストの武装組織に対して無防備な状態となっていた。

 歴史とは因果の連鎖であり、連続した流れとして理解しなければならない。現在、世界を揺るがしている戦争へ続く流れの中心にはイギリスとその後継国であるアメリカが存在している。その中にはユダヤ教徒も含まれているが、その集団自体を「ユダヤ」で括るべきではない。

 19世紀にイギリスは帝国主義国として侵略を始めたが、そうした状況を生み出したのは海賊で富を築いていたエリザベス1世の時代。その時代はオカルトが盛んでもあった。

 16世紀のイギリスでは自分たちを古代イスラエルの「失われた十支族」の後継者だと信じる人が現れた。そのひとりがスチュワート朝のジェームズ6世で、自分はイスラエルの王だと信じていたという。そのジェームズ6世の息子、チャールズ1世は「ピューリタン革命(17世紀半ば)」で処刑されたが、その「革命」で重要な役割を果たした人物がオリヴァー・クロムウェル。その私設秘書だったジョン・サドラーも同じように考えていた。クロムウェルはキリストの再臨を信じ、「道徳的純粋さ」を達成しようと考え、ユダヤ人は離散した後にパレスチナに再集結し、ソロモン神殿を再建すると考えていたという。この信仰は今でも生きている。


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